今日は2011年におきた東日本大震災から10年の節目となります。

行方不明者・死者を合わせて2万2千人以上になる戦後最大の自然災害は、被災した方達の生活を変え、そしていまだに福島第一原発の事故によって4万人以上の人たちが帰還できていないでいます。

被災地から離れていた私たちも、物流のストップや停電などによって思いがけないような日常を送ることとなりました。

しかし、その時気がついたのは、いつ災害が起きるのかわからないこと。被災された方達にとって復興の終わりというのはないのだなということでした。

震災が起きた年の5月、試合を終えた志朗は、その時のファイトマネーと激励賞の一部を宮城県亘理町へと寄付させていただきました。

写真は、ご対応いただいた亘理町総務課課長さんです。

宮城県蔵王の方に、志朗のセコンドについていただいたり公私共にお世話になった方がいました。その方は幸いにもご家族は無事でいらっしゃいましたが、亘理町の状況をお聞きし、少しでもお役に立てていただけばという思いもあり50万円寄付させていただきました。

その後は、継続した支援先として、避難場所で過ごしているお子さんたちの学習支援を支えているNPOの活動に寄付をさせてもらいました。

亘理町は、いちご栽培が全国的に知られています。しかし津波による塩害によっていちごを育てる土地は大きなダメージを受けたといいます。

実際に亘理町を歩くと、ここに人が暮らしていたというところが信じられないような光景だったのが忘れられません。

被災地から離れている私たちは、時間の経過と共に、被災の現実が薄れていくように思います。やはりお金の支援、物資の支援も非常に大切ですが、一瞬で生活が全く変わってしまった方、家族を失い人生そのものが変わってしまった方たちの思いに寄り添っていく気持ちを忘れてはいけないと改めて考えます。

あれから、10年。

まだ10年。

志朗の社会貢献活動は、NPOとして活動組織を大きくしていきます。

これからもキックボクサー志朗が戦うことで、支援の輪を広げていかれるように力の限り頑張っていきます。

東日本大震災によって失われた全てのものに黙祷。