松崎①
風変わりなキックボクサーだ。
学生時代はパレスチナ、セルビア、ボスニア。松崎公則は普通観光客が絶対行かない地域に足繁く通った。
その理由について松崎は3年前に行なったインタビューで次のように答えている。
「大学2年の時、ゼミの先生から誘われたことがきっかけでした。最初に行ったのはカンボジア。97年の話なので、まだポルポト政権の残党がゲリラとして残っている時代でした」
若さと勢いと好奇心があれば、何でもできる。大学3年の時には北朝鮮へ。監視員の目は必ず光っていたが、市井の人々の息遣いを目の当たりにした。
「普通に公園に寝転がっている人もいるけど、芸術的な踊りを見せられた時にはみんな作り笑顔。『これは文化なのか?』『これでいいと思っているのか?』と疑問を抱きました」
大学卒業後は一度就職したが、3年後に退職。タイ東北部コーンケンの農村部に赴き、1年ほど滞在する。


「NGOのインターンということで、現地にホームステイしながら農村開発を学ぶというプログラムに参加していました。ソーセージを作ったり、学校で日本語を教えたり。おかげで日常会話程度ならタイ語を喋れるようになりました。ムエタイ? 自分で練習する機会はなかったですけど、やっぱりムエタイをやっているところはあったので見に行ったりはしていました。街でやっている大会もあれば、村のお祭りでやっている大会もありましたね」
初めてキックボクシングの世界に足を踏み入れたのは就職して一段落した時だった。友人が通っていた関係で、自宅近くのムエタイジムに入会したのだ。
「プロ志望でばなく、普通にダイエット感覚でやっていましたね」
その後ジム通いはタイに滞在したこともあり途切れてしまう。タイから帰国後、松崎はもう一度カンボジアへ。現地と日本の仲介役のような仕事だったが、思い通りにはなかなか進まない。帰国後、松崎は精神的に参ってしまい、引きこもりに。しばらくすると、「適度な運動をしよう」と決意して、ストラッグルに入会する。

松崎②
鈴木秀明会長の証言。
「松崎が入ってきた当初、プロになったり、長く続けるとは思ってもいませんでした。しかも、最初は60㎏くらい体重があった。他の若くて勢いのある子たちと比べたら全然でしたからね」
お世辞にも身体能力が高い選手とも思えない。努力に努力を重ね、プロデビューしたあとも勝ったり負けたり。本人は「1~2戦で辞めようと思っていた」。ちょっと遅めの青春の思い出。第三者の目から見ても、新人時代は凡庸な選手にしか映らなかった。
もっとも、キャリアを積み重ねるにつれ、松崎はキックの虜になっていく。この男が凄いのは、身体能力が高くないことを自覚しているふしがあるところだ。
再び鈴木会長の証言。
「松崎は自分にないものを何とかして補おうとしている。そして失敗したことを次に活かそうと努力できる。どうやったら勝てるかをよく考えているんですよね」
神がかり的な強さを見せつけた時期もあった。2011年6月19日の喧太戦から翌年4月15日の伊東拓馬戦まで、4試合連続TKO勝ちを記録しているのだ。
しかも、決まり手は全てヒジ打ちによるレフェリーストップ。伊東戦にいたってはWPMF日本スーパーフライ級王座決定戦だったので、初戴冠に成功した。松崎は”和製切り裂き魔”と呼ばれるようになった。
その強さの秘密を鈴木会長が分析する。
「松崎は勝負しようとするところで勝負できる。一言でいうと、勇気があるんですよね。気持ち的に振り切った時の力はすごい」
プロになってからは、短期間ながら計4~5回はタイに足を運び、現地のジムに寝泊まりしながら腕を磨いた。松崎は、もっとムエタイを追求したいと声を大にした。
「自分は軽量級だけど、この階級だったらタイ人の技術が最高峰。学ぶべきところがたくさんある。やっぱりみんな子供の頃からやっているし、技術に関していえば子供でも叶わないところがありますからね」
タイでの試合も一度だけ経験がある。ラジャダムナンスタジアムで組まれた53㎏契約の5回戦。決戦当日になって対戦相手が急きょ変更になるというアクシデントに見舞われたが、松崎は1RKO勝ちを収めている。
「直前になって対戦相手は4㎏オーバーということで、当日になって変更になったんですよ。日本だったらまずありえないことなので、かなり焦りましたね」
一度現地で勝っているというアドバンテージは大きいと水を向けると、松崎はあの時はあの時でいっぱいいっぱいだったのでと言いながら照れ笑いを浮かべた。
「ただ、タイ特有のゴチャゴチャした中で試合をやったという経験はしている。その点では良かったかなと思いますね」

松崎③
ランシットスタジアムに足を踏み入れたことはないが、噂は耳にしている。
「テレビ中継も付いていて、(興行の)演出も凝っているんですよね。賭け屋(ギャンブラー)がゴチャゴチャといる他のスタジアムとはまた違う雰囲気なのかなと思いますね」
今回の遠征メンバーに選ばれたことに対する周囲の反応は想像以上に大きいという。
「日本代表みたいな感じじゃないですか。最初はそこまで考えていなかったけど、周囲の期待は感じますね」
今回の遠征が決定した時点で松崎はWPMF日本スーパーフライ級王者だったが、5月6日藤原ジムからWSRフェアテックスに移籍したばかりの片岡聡志に判定で敗れ、二度目の王座防衛に失敗するとともに丸腰になってしまった。加えて昨年からは2勝(2KO)4敗と負け越しているため、今回のタイ遠征をきっかけに再浮上を期す。
「ムエタイなので、対戦相手の方が(技術的に)上かもしれないけど首相撲も試してみたい。できれば、タイでもヒジによるTKOを狙いたい。そして、タイでの試合なので、現地のお客さんが盛り上がるような試合をしたいですね」
松崎と対峙するアッサワテープ・シットダープニットは弱冠19歳。主催者はこのタイ人の通算戦績を15戦8勝7敗と発表したが、それを額面通りに受け止めるのは危険だろう。ここ数年に限定したレコードの可能性も捨てきれない。
目を引いたのはアッサワテープの年齢が松崎のちょうど半分であること。その点を指摘すると、松崎は一回りどころか二回り以上も違うと苦笑いを浮かべながら言葉を続けた。
「でも、最近は年齢差の選手とばかりやっているので。そのへんは慣れています。向こうはまだ十代。気持ちの強さは負けないと思いますね」
──タイでは試合前に踊ることが義務づけられているワイクーもバッチリ?
「なんとか踊れると思います。でも、体がちょっと硬いので、あまり綺麗には踊れない。もう少し綺麗に踊りたいという願望はありますね」
ややもすると最初は笑い者にもなりかねない存在ながら、必死に努力して成長していく。そのプロセスは松崎がかつて大好きだったというジャッキー・チェンとも重なり合う。
絶妙のタイミングで放たれる和製切り裂き魔のヒジ打ちはランシットスタジアムでも炸裂するのか。

<文・スポーツライター/布施鋼治>